和食という発酵

水脈 ― 河口(かこう)

第六章 さしすせそ — 台所の味は、ほとんどが発酵である

Washoku, the Fermented Cuisine — Chapter Six: Sa-Shi-Su-Se-So — The Kitchen's Flavour Is Mostly Fermented


はじめに — 台所に降りる

ここまで、水脈は遠いところを流れてきた。禅寺の厨房、海と湖の保存食、古い蔵、そして二十世紀の研究室。だが、和食の発酵が本当に息づいているのは、もっと身近な場所である。日々の、台所だ。

最後に、その台所に降りてみたい。家庭の味付けの土台として、誰もが一度は耳にする言葉がある。さしすせそ。この五つの調味料の正体をたどると、和食の背骨——発酵は、特別な料理のなかではなく、毎日の食卓の底に、静かに横たわっていることが見えてくる。


一 さしすせそ — 五つの調味料と、その順番

「さしすせそ」とは、和食の味付けの基本となる五つの調味料の、頭文字を並べた語呂合わせである。砂糖(さ)、塩(し)、酢(す)、醤油(せ=せうゆ)、味噌(そ)。1 そして同時に、料理にこれらを加えていく順番をも表している。1

なぜ、この順番なのか。理由のひとつは、分子の大きさにある。砂糖は分子が大きく、食材にしみ込むのに時間がかかる。だから先に入れる。塩は分子が小さく速くしみるので、その後。1 そして酢・醤油・味噌は、加熱すると香りや風味が飛んでしまうため、料理の後半に入れるのがよいとされる。1 この「飛んでしまう風味」という言葉に、ひとつの手がかりがある。飛ぶほどの繊細な香りとは、すなわち、発酵が生んだ香りのことだからである。


二 発酵は、五つのうち三つ — す・せ・そ

ここで、五つの調味料を、性質によって二つに分けてみたい。

砂糖と塩——さ・しは、発酵ではない。砂糖は甘味を、塩は塩味を受けもつ、いわば味の素地である。これらは菌の手を経ていない。一方、味に奥行きと余韻を与える三つ——酢・醤油・味噌、すなわち「す・せ・そ」は、いずれも発酵調味料である。2 加熱で風味が弱まるため後半に入れる、というあの理由は、まさにこの三つが、菌の仕事の産物だからにほかならない。2

つまり、台所のいちばん基本の道具立てのうち、味の「芯」を通す部分は、ほとんどが発酵に支えられている。序章で述べたことが、ここで具体的なかたちをとる。私たちは毎日、知らぬまに、菌のつくった味で料理を仕上げているのである。


三 酢 — 発酵の、発酵

このうち、酢には、ひときわ興味深い来歴がある。

米酢は、こうしてつくられる。まず、蒸した米に麹を加えて糖を生み出し、それをアルコール発酵させる。つまり、いったん酒をつくるのである。そして、その酒を、さらに酢酸菌の力で発酵させる。こうしてできるのが、酢だ。3 酢とは、酒をもう一度発酵させたもの——いわば、発酵の発酵なのである。実際、酢は古墳時代に、酒づくりの技術とともに日本へ伝わったとされる。4

ここで、第四章の鮨を思い出してほしい。何ヶ月もの乳酸発酵がつくっていた鮨の酸味を、江戸の人々は「酢」で肩代わりさせた。あのとき私は、その酢もまた発酵の産物である、と書いた。いまその意味が、はっきりする。発酵の酸味を、別の発酵の酸味で置き換えていたのだ。鮨の酸味は、姿を変えながら、ずっと発酵のなかにあり続けた。


四 醤油と味噌、そしてみりん — 淵へ

残る二つ、せ・そ——醤油と味噌。これらのルーツが、第一章でたどった醤(ひしお)にあることは、すでに見たとおりである。大豆を、麹菌の力で発酵させた、あの古い系譜の末裔だ。5

味噌は、用いる麹の種類によって、米味噌・麦味噌・豆味噌に分かれる。このうち豆味噌は、愛知・三重・岐阜——中京の地を、おもな産地としている。5 そして、「さしすせそ」には数えられないが、台所のもうひとつの発酵がある。みりんだ。料理に照りとまろやかな甘みを与えるこの調味料も、麹と時間の産物である。6

ここで、水脈はひとつにつながる。豆味噌、たまり、白醤油、そしてみりん——和食の台所を支えるこれらの発酵調味料が、まさに、三河の——碧南の土に集まっていた。それは、第二の白書『淵』でたどった、あの土地の姿そのものである。河口の台所から見上げた水脈は、ここで淵へと、はっきりつながっている。


結び — 毎日、時間をすくっている

さしすせその五つのうち三つ。そして、みりんも、料理酒も。台所の発酵は、けっして目立たない。瓶に詰められ、棚に並び、毎日あたりまえに使われていく。

けれど、味噌汁の一椀、煮物の一鉢のなかに、私たちは、何ヶ月も、ときに何年もの発酵の時間を、匙ですくっている。和食は、特別な日の、晴れの料理のなかにだけあるのではない。毎日の、ごくありふれた食卓の底で、菌と時間に、静かに支えられている。皿の上の水脈は、ここで、最も身近なところに顔を出していた。

水脈は、もうすぐ海に出る。次の結章では、二〇一三年——世界が、この菌の料理を「人類の遺産」として認めた、その日へと向かう。


文献・出典


※ 本稿は和食をめぐる白書の第六章である。記載した事実は出典に基づく。「さしすせそ」のうち発酵によるものは酢・醤油・味噌(およびみりん)であり、砂糖と塩は発酵ではない点を、序章に続いて本章でも明確に区別した。調味料を入れる順番は一般的な目安であり、料理によって前後する。本章は調味料を文化・歴史の側面から扱い、健康上の効能には立ち入らない。

Footnotes

  1. 「さしすせそ(調味料)」Wikipedia(さしすせそが砂糖・塩・酢・醤油〔せうゆ〕・味噌の五つの調味料とその使用順序を覚える語呂合わせであること、砂糖の分子量〔三四二〕が食塩〔五八・二〕の約六倍で浸透が遅いため先に入れること、酢の酢酸が加熱で蒸発し、醤油・味噌は香りが重要なため後に入れることが望ましいことに関する記述). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%99%E3%81%9B%E3%81%9D_(%E8%AA%BF%E5%91%B3%E6%96%99) 2 3 4

  2. 「調味料“さしすせそ”で1ランクUP!」和食の旨み(小林フーズ)(す・せ・そ=酢・醤油・味噌が発酵調味料であり、加熱すると発酵による独特の風味が弱くなるため料理の後半に入れることが多いことに関する記述). https://www.kobayashi-foods.co.jp/washoku-no-umami/seasoning%E3%80%80sa-shi-su-se-so 2

  3. 「基本の調味料『さしすせそ』とは?」かわしま屋(米酢が、蒸した米に麹を加えて糖化させ、アルコール発酵させたのちに酢酸発酵を行い熟成させて作られること、穀物や果実の酒を酢酸発酵させたものが醸造酢であることに関する記述). https://kawashima-ya.jp/contents/?p=795

  4. 「調味料『さしすせそ』とは」美食手帳(酢が古墳時代に酒の生産技術とともに日本へ伝わったとされることに関する記述)https://www.bannobiyori.com/media/archives/1213 /「調味料『さしすせそ』の正しい順番とは?」京都調理師専門学校(酢が酢酸を主成分とし、果実や穀物などを発酵・熟成させて酸味をもった調味料となることに関する記述). https://www.kyoto-chorishi.ac.jp/knowledge/c0024/

  5. 「調味料の『さしすせそ』とは」sharedine(醤油・味噌のルーツが中国の醤〔ひしお〕にあること、醤油が大豆・小麦・食塩を麹菌で発酵させた発酵調味料であること、味噌が用いる麹により米味噌・麦味噌・豆味噌に分かれ、豆味噌が愛知・三重・岐阜の中京地方を主な産地とすることに関する記述). https://sharedine.me/media/know-how/condiment-sashisuseso 2

  6. 「味付けの基本『料理のさしすせそ』とは?」SATETO(料理酒や本みりんなどの酒類を砂糖より早い段階で入れること、「みりん風調味料」は酒ではないため味噌や醤油より後に入れることに関する記述)https://coop-sateto.jp/special/basic_spice/ /「調味料“さしすせそ”で1ランクUP!」和食の旨み(みりんを入れるタイミングに関する記述). https://www.kobayashi-foods.co.jp/washoku-no-umami/seasoning%E3%80%80sa-shi-su-se-so