水脈 ― 河口(かこう)
結章 二〇一三年から、いま — 世界遺産となった和食、その底にあるもの
Washoku, the Fermented Cuisine — Epilogue: From 2013 to Now — What Lies Beneath the World Heritage
はじめに — 海へ出る
水脈は、ついに河口まで来た。序章で、和食は火の料理である前に菌の料理だった、と私たちは掲げた。そして、醤にさかのぼり、麹ではない納豆に分け入り、肉なき精進の食卓を訪ね、魚を発酵させた鮨の起源にふれ、出汁とうま味の核心をくぐり、台所のさしすせそにたどりついた。
いま、その流れは、海へ出ようとしている。最後に向かうのは、二〇一三年——世界が、この菌の料理に手を差し伸べた、その地点である。
一 二〇一三年、世界が認めたもの
二〇一三年十二月四日、「和食;日本人の伝統的な食文化」が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。1 食に関する遺産としては、フランスの美食術や、地中海料理などに続くものであった。2
ここで、心に留めておきたいことがある。このとき登録されたのは、寿司や天ぷらといった、料理そのものではなかった。認められたのは、「自然を尊ぶ」という日本人の心を体現した、食をめぐる習わし——そのものである。1 そしてその特徴のひとつとして、うま味を巧みに使うことで、動物性の脂に頼らない食生活を実現してきたことが、挙げられていた。1
世界は、料理ではなく、その背後にある「心」と「うま味」を評価したのである。
二 その底にあったもの — 菌と時間
では、世界が称えたその「自然を尊ぶ心」、そして「うま味」の底には、何があったのか。本書が、ここまで一章ずつたどってきたもの——発酵である。
うま味とは、第五章で見たように、つきつめれば時間の味であった。そして発酵とは、菌という自然の小さな働き手に、味づくりを委ねる営みである。人が急いでつくるのではない。塩で腐敗を退け、あとは菌と時間に手を渡し、ただ待つ。「自然を尊ぶ」とは、煎じつめれば、この「委ねて、待つ」という構えのことではなかったか。
世界が和食のなかに見た美点は、華やかな盛りつけや繊細な包丁の奥に、もうひとつ、深い層をもっていた。それは、菌と時間に味を委ねるという、発酵の営みそのものだったのである。
三 河口は、源に出会う
ここで、三つの白書が、一本の水脈として閉じる。
第一の白書『源』で、私たちは、なぜ日本人がこう感じ、こう考えるのか——自然を尊び、移ろいを受け入れる、その精神の源流をたどった。第二の白書『淵』で、その精神が、碧南というひとつの土地の醸造に、どう凝っていったかを見た。そしてこの『河口』で、発酵は、和食という食卓のかたちをとって、皿の上に出て、世界に届いた。
ところが、その河口で世界が評価の核に置いたのは、ほかでもない「自然を尊ぶ心」——第一の白書『源』が、まさにたどった、あの精神そのものであった。1 海に出ようとする水は、河口で、ふたたび源に出会う。食の話は、めぐって、心の話へと還っていく。一本の水脈は、ここで、静かに輪を閉じる。
四 いま、という岸 — 速さと、待つこと
だが、「いま」という岸辺には、もうひとつの顔がある。
和食が世界で称えられる一方、その足もとの日本では、若い世代の和食離れが進み、家庭で昆布や鰹節からだしを取る機会も、少なくなっているという。2 速さと手軽さが、発酵の長い時間を、少しずつ覆い隠していく。かつて握り寿司が、何ヶ月もの発酵を省略したように、現代の私たちは、あらゆる味を「すぐ」に手に入れようとしている。
本書がたどってきたのは、その反対側にある価値であった。待つこと。委ねること。時間を、食べること。これは、古いものを懐かしむ感傷ではない。すべてが速くなる時代に、あえて時間のかかるものを選ぶことに、どんな意味があるのか——その問いを、静かに差し出す試みである。変わりゆくもの(流行)の流れのなかで、変わらぬもの(不易)を見つめること。それは、芭蕉の昔から、この国が手放さずにきた構えでもある。
結び — 一椀の、二千年
最後に、一椀の味噌汁を思い浮かべてほしい。
昆布と鰹節でひいた、澄んだだし。そこに溶ける、味噌。なんでもない、毎日の一椀である。けれど、その底には、二千年が流れている。醤の昔から積み上げられた、菌と時間の水脈が、たしかに流れている。私たちが箸を持つとき、その手の下を、見えない流れが通っているのである。
皿の上の水脈を、舌で味わうこと。何ヶ月もの、何年もの、ときに二千年の時間を、ひと匙のうちに味わうこと。それが、和食を食べる、ということの、ほんとうの意味なのかもしれない。
そして、この水脈は、ただ読むためだけのものではない。流れのほとりに立ち、その土地の空気のなかで、時間そのものを味わうこともできる。だが、そこから先は——もう、文字の領分ではない。道行きの、はじまりである。
文献・出典
※ 本稿は和食をめぐる白書の結章である。ユネスコ無形文化遺産登録の事実は出典に基づく。和食の継承をめぐる現状についても出典に拠ったが、その評価には幅があり、本章は一面的な悲観や懐古を意図するものではない。本書全体を通じ、発酵の食を文化・歴史の側面から扱い、健康上の効能には立ち入っていない。
Footnotes
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「『和食』がユネスコ無形文化遺産に登録されています」農林水産省(二〇一三年に「和食;日本人の伝統的な食文化」が「自然を尊ぶ」日本人の心の表現として無形文化遺産に登録されたこと、「うま味」を生かして動物性油脂の少ない食生活を実現してきたことに関する記述)https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/ /「『和食』がユネスコ無形文化遺産に登録」nippon.com(二〇一三年十二月四日に登録が決定したことに関する記述). https://www.nippon.com/ja/behind/l00052/ ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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「『和食』がユネスコ無形文化遺産に登録」nippon.com(食に関する無形文化遺産としてフランスの美食術や地中海料理などが先に登録されていたこと、生活の洋風化につれ若者の和食離れが進み、国内で和食が危機的状況にあると指摘されることに関する記述)https://www.nippon.com/ja/behind/l00052/ /「『和食』のユネスコ無形文化遺産登録5周年!」農林水産省(登録後、海外で日本食レストランが増加し世界から高い注目が寄せられる一方、国内では和食文化の次世代への継承が課題となっていることに関する記述). https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/wasyoku_unesco5/unesco5.html ↩ ↩2