水脈 ― 河口(かこう)
第一章 醤(ひしお) — 味噌と醤油の、共通の祖先
Washoku, the Fermented Cuisine — Chapter One: Hishio, the Common Ancestor of Miso and Soy Sauce
はじめに — 一つの源から
序章で、私たちは和食を「菌の料理」と呼んだ。台所の味の芯を、発酵が支えていると。では、その芯にある味噌と醤油は、いったいどこから来たのか。
二つの調味料の系譜をさかのぼっていくと、やがて流れは一本に合わさり、ひとつの古い言葉に行き着く。醤(ひしお)。味噌も醤油も、もとは同じ一つの源から分かれた、双子のような調味料なのである。本章は、その分かれ目までさかのぼってみたい。
一 醤とは何か — 塩と菌が出会う器
醤とは、原料を塩に漬け込み、麹の力で発酵させた、古い調味食品である。1 その源は古代中国にさかのぼり、六世紀の農書『斉民要術』には、すでに醤の作り方が記されている。1
仕組みは、二つの力の出会いにある。一つは、塩。塩は腐敗を止め、雑多な菌の繁殖を抑える番人となる。もう一つは、麹をはじめとする菌。菌は、原料のたんぱく質やでんぷんを、うま味や甘みへと変えていく。塩が「守り」、菌が「醸す」。この塩と菌の組み合わせこそ、和食の発酵調味料すべての、いちばん古い原理である。腐敗と発酵は紙一重だが、塩がその境目を引いてくれる。
二 四つの醤 — 何を漬けるか
醤は、何を漬けるかによって、いくつかに分かれていた。2
果実や野菜、海藻を漬けたものを、草醤(くさびしお)という。これは、のちの漬物の祖型である。魚や肉を漬けたものは、魚醤(うおびしお)・肉醤(ししびしお)と呼ばれ、塩辛のたぐいの源となった。そして、米・麦・大豆といった穀物を漬けたものが、穀醤(こくびしお)。これこそが、味噌と醤油の原型である。2
大陸では、魚や肉を使った醤が中心であった。ところが日本では、穀物の醤——穀醤が、とりわけ大きく育っていく。菜食を主体とする日本人の食生活によく合い、また他の醤よりも保存がきいたためだといわれる。2 何を漬けるか、という小さな分かれ道が、この国の食卓のかたちを、静かに決めていった。
三 未醤、あるいは味噌の誕生
醤の文字が日本の記録に現れるのは、大宝令(七〇一年)のことである。そしてそこには、中国の文献には見られない、ひとつの言葉が書き加えられていた。未醤(みしょう)。3
未醤とは、醤に日本人が独自の工夫を加えた、新しい調味料であったと考えられている。そして、この「みしょう」という音が、やがて転じて「みそ」になった——味噌の名は、ここに生まれたとみられている。3 完成した醤ではなく、まだ醤になりきらぬもの、という名のうちに、味噌という別の道がひらかれていた。
朝廷には、醤や未醤の製造をつかさどる役職(主醤・ひしおのつかさ)が置かれ、平安京の市には、醤を売る店(醤店・ひしおだな)まで立った。4 穀醤の、塩に漬けた固形のたまり——その固まりのほうが、味噌へと育っていく。
四 桶の底の発見 — 醤油への分岐
味噌が固形の道を行く一方で、もう一本、思いがけない道がひらかれる。
鎌倉時代のこと。味噌を仕込む桶の底に、自然とたまった液汁がある。これがことのほか美味しく、煮物によく合う——人々はそう気づいた。この桶の底の液体が、たまりであり、醤油のはじまりとされている。5 のちに「醤油」という文字が記録に現れるのは、室町時代に入ってからのことである。5
ここに、分岐が完成する。同じ一つの仕込みから、固形分は味噌となり、液体分は醤油となった。穀醤というひとつの源が、二つのかたちに分かれたのである。6
そして、この桶の底のたまりは、やがて三河の——碧南の土に根を下ろし、この土地の醸造文化の一本の柱となっていく。それは、第二の白書『淵』でたどったとおりである。一本の水脈は、ここで碧南へとつながっている。
結び — 分かれて、また会う
味噌と醤油は、しばしば食卓で別々の顔をしている。けれど二つは、敵同士ではない。一つの醤から、固形と液体へと分かれた、双子の兄弟である。和食の味を支える二大調味料が、同じ古い菌の祖を共有している——このことは、和食の発酵が、ばらばらの個別の技ではなく、一本の系譜であることを教えてくれる。
ただし、この国の発酵には、もう一つの流れがあった。塩と麹の、この穏やかな系譜から外れる、まったく別の菌の仕事。糸を引く、あの食べもの——次章では、麹ではない発酵、納豆へと向かう。
文献・出典
※ 本稿は和食をめぐる白書の第一章である。記載した事実は出典に基づく。醤・未醤・たまりの系譜には諸説があり、本章は代表的な説に拠った。『斉民要術』の成立は六世紀とする説に従う。味噌・醤油の起源年代や経路の細部については、今後の改訂で一次資料に照らして補強する。
Footnotes
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「醤(ショウ)」コトバンク(日本大百科全書・平凡社百科事典マイペディアほか)(醤が魚・獣肉・大豆などに麹と塩を加えて発酵させた古代の調味料で、味噌・醤油の祖型であること、六世紀の中国の農書『斉民要術』に黒豆の醤・肉醤・魚醤などの作り方が記されていることに関する記述). https://kotobank.jp/word/%E9%86%A4-119620 ↩ ↩2
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「しょうゆの歴史」日本醤油協会(中国から伝わった醤が原料により草醤〔果実・野菜・海藻〕・魚醤/肉醤〔魚・肉〕・穀醤〔穀物〕に分かれ、米・小麦・大豆を用いた穀醤が醤油の原型とされること、日本で穀醤が発達したのは菜食主体の食生活に合い保存性が良かったためとされることに関する記述). https://www.soysauce.or.jp/faq/about-history ↩ ↩2 ↩3
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「みその起源」みそ蔵(ハナマルキ)(醤の文字が初めてみられるのが大宝令〔七〇一年〕であり、そこに中国にはない「未醤」の語があること、未醤が味噌の前身とみられ「みそ」の音が「みしょう」の変化と考えられることに関する記述). https://www.hanamaruki.co.jp/misogura/history/roots-of-miso/ ↩ ↩2
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「醤(ショウ)」コトバンク(朝廷の大膳職に醤・豉・未醤などの製造をつかさどる主醤〔ひしおのつかさ〕が置かれ、平安京の東市に醤を商う醤店〔ひしおだな〕があったことに関する記述). https://kotobank.jp/word/%E9%86%A4-119620 ↩
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「しょうゆの歴史」木村醤油店(鎌倉時代に味噌の製造過程で桶の底にたまった液汁=たまりが発見され、これが醤油のはじまり・たまり醤油のルーツとされること、「醤油」の文字が室町時代に現れたことに関する記述). http://www.shouyu.net/yakata.html ↩ ↩2
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「醤(ひしお)」ヒストリスト(山川『日本史小辞典』)(穀醤が味噌・醤油の原形であり、固形分から味噌が、液汁として醤油が作られるようになるのは室町時代以降とされることに関する記述). https://www.historist.jp/word_j_hi/entry/036791/ ↩