碧南醸造文化誌

第四章

醸造が揃う土地 — 発酵の生態系

Hosomichi Chronicle of Hekinan — Chapter Four


はじめに — 一つの蔵から、一つの土地へ

ここまで、碧南が生んだ二つの発明——みりんと白醤油——を、それぞれ個別に辿ってきた。本章では視点を一段引き上げ、個々の蔵を超えて、この土地そのものを俯瞰したい。

問いはこうである。なぜ、味噌・醤油・酢・みりん・酒という発酵調味料のほぼすべてが、碧南を含む三河・知多という、一つの地域に揃ったのか。日本には醸造の盛んな土地が数多くある。だが、これだけ多様な発酵が一帯に集積した例は、ほかにない。ある専門家はこの地域を「うま味の首都」と呼ぶ1。本章では、その集積が偶然ではなく、一つの「生態系」として成り立っていたことを描きたい。


一 うま味の首都 — すべてが揃う稀有な土地

まず、この地域に何が揃っているかを確認しよう。

知多半島と西三河南部は、酒造りだけでなく、味噌・溜(たまり)・醤油・みりん・酢といった多様な醸造業が、江戸時代から現在まで展開してきた土地である2。最も色の淡い白醤油と、最も濃厚な溜醤油が共存し、加えて日本酒・みりん・酢の生産も盛んな——多様な発酵食品が一帯に集まる、稀有な地域である3

この豊かさは、しばしば地元の人にこそ実感されにくい3。あまりに当たり前に揃っているからだ。ある食の専門家は、「日本国内で、ここまでこだわりのクオリティの高い発酵商品が揃っている場所は、知多半島以外にない。塩も近くの塩田で採れたので、砂糖以外は全部ある」と評している4

味噌・醤油・酢・みりん・酒——そして塩。和食を形づくる発酵のほぼすべてが、半径わずか数十キロのうちに息づいている。この事実こそ、碧南という土地を理解する出発点である。


二 なぜ揃ったのか — 五つの条件

では、なぜこれほどの集積が生まれたのか。それは、いくつもの条件が、この土地に偶然ではなく必然として重なった結果であった。地元でこの問いを長く考えてきた料理人は、その条件を次のように整理している5

第一に、酒の存在である。知多半島を中心に、この地は日本酒の一大産地であった。そこから、酒粕を二次加工する技術が生まれ、酢やみりんの文化が広がった5

第二に、良質な水である。明治用水や愛知用水など、全国でも早い段階で用水整備が進んだことが、醸造に欠かせない水を支えた5

第三に、木桶を作る職人がいたことである。かつて醸造容器のほとんどは木製であり、水を漏らさない桶の技術が、この地に集積していた。その技術は、船や用水の建造にもつながっていた5

第四に、海運である。前章までに見た通り、海運業が栄え、港や運河の整備が進んだことが、造ったものを巨大市場へ届ける道を開いた5

第五に、文化的な安定である。御三家の一つ尾張徳川家の殿様文化と、三河の商人文化・農業文化が相まって、この地は安定した豊かな土地であった。その基盤があればこそ、仕込みに三年かかる八丁味噌のような、時間を要する発酵も守り続けることができた5

酒、水、桶、海、そして安定——この五つが噛み合ったとき、一つの土地に発酵のすべてが揃うという、稀有な事態が生まれたのである。


三 連鎖する発酵 — 酒粕がつないだもの

五つの条件のうち、とりわけこの地域の発酵を特徴づけるのが、「酒を起点とする連鎖」である。発酵が発酵を呼ぶ——その鎖のあり方が、この生態系の核心にある。

連鎖はまず、酒から始まる。一七世紀後半、西三河や知多半島の酒は、上方の技術を取り入れて江戸でも飲まれるようになった6。三河の酒は辛口で「鬼ころし」と呼ばれ、灘の酒と人気を二分するほどであったと伝わる6

この盛んな酒造業から、みりんと酢が生まれた。いずれも、酒を搾る際に出る副産物——酒粕——を原料とする2。一八世紀半ば、大浜(碧南)の石川八郎右衛門家は、酒・焼酎を造り、さらに酒粕を原料とするみりん造りを始めた2。その技術が広がり、大浜は全国有数のみりん生産地となっていく2。一方、半田の中埜又左衛門家も、もとは酒造家であったが、酒粕を原料とする酢造りが軌道に乗ると、酢造りを本業とするに至った2。甘み・旨みに富むその粕酢は、江戸で流行した早ずしに用いられ、消費量を急速に増やした2

連鎖は、道具のうえにも及んだ。ある酒蔵の伝えるところでは、かつて知多半島にあった二二〇軒を超える酒蔵で使われた木桶や甑(こしき・大型の蒸し器)は、使い込んで隙間が出ると酒造りには使えなくなるため、それを味噌造りなどに転用したという7。実際、この地の味噌や醤油の蔵を辿ると、「もとは酒蔵だった」「隣に酒蔵があった」という来歴が多いと伝えられる7

酒が、その副産物(酒粕)でみりんと酢を生み、その古びた道具(木桶)で味噌を育てる。一つの発酵が次の発酵を呼ぶこの連鎖こそ、この地域に多様な醸造が密集した、最も深い理由であった。


四 国菌という、見えざる主役

これらの発酵すべてに、共通する一つの主役がいる。目には見えないが、この生態系のすべてを動かしてきた立役者——麹菌である。

味噌・醤油・みりん・酢・酒。これらの発酵食品は、すべて一つのカビをスターターとしている。うま味を生み出すそのカビは、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)といい、現在は「国菌」に定められている8

異なる素材、異なる製法、異なる蔵——それでも、この地のすべての発酵の根底には、同じ麹菌の働きがある。みりんの甘さも、白醤油の淡さも、たまりの濃さも、酢の酸も、すべては麹菌がでんぷんやタンパク質を分解し、糖やアミノ酸へと変えることから始まる。

そして、その麹菌の働き方は、蔵ごとに微妙に異なる。蔵に棲みついた菌、水、造り手の工夫——それらの違いが、同じ「白醤油」「みりん」であっても、蔵ごとにまったく異なる味を生む9。普通名詞としての「白醤油」ではなく、固有の蔵が醸す一本として捉えたとき、その個性は際立つ9

見えざる国菌が土台を支え、その上で蔵ごとの個性が花ひらく——これが、この地域の発酵の重層的な豊かさである。


五 生態系が支えた「和食」

最後に、この発酵の生態系が何を生んだのかを見ておきたい。それは、一地方の食にとどまらない。日本の食文化そのものであった。

塩と味噌を基本としていた食のあり方が大きく変わるのは、一八世紀半ば以降である2。醤油が普及し、甘いみりんが調味料として使われるようになり、粕酢が早ずしを支えた——多種の調味料が出汁と組み合わされることで、和食は大きく発展した2。醤油とみりんで作るたれを塗った鰻の蒲焼き、香ばしい醤油の合う蕎麦、甘旨い粕酢の早ずし2。これらはみな、この地域の発酵が江戸へ運ばれてはじめて成り立った食である。

実際、江戸の高級料理亭が一八三五年に出版した料理書『江戸流行料理通』の味噌吸物の部には、尾張や三河の味噌が登場する7。三河・知多の発酵は、江戸の食通の食卓にまで、確かに届いていたのである。

尾張や三河の醸造品が、江戸時代に生まれた「和食」を支えた6——この事実は、碧南という土地の発酵が、単なる地方の特産ではなく、日本の食文化の基層をなすものであったことを物語る。

碧南は、その生態系の中心の一つであった。みりんを生み、白醤油を生み、そしてそのどちらもが、酒と酢と味噌という他の発酵と、一つの鎖のなかで結ばれていた。次章では、いよいよこの土地のもう一つの深層——「待つ」という発酵の営みが、なぜこの地で「哲学」とまで結びついたのかへと、筆を進めたい。発酵の生態系は、食の生態系であると同時に、一つの精神の風土でもあったのである。


文献・出典


※ 本稿は碧南醸造文化誌(ホワイトペーパー)の第四章である。記載した事実は出典に基づく。集積の要因(五条件)は地元料理人による整理に拠り、史実(石川家・中埜家・武豊の醸造発展等)は招鶴亭文庫の企画展資料を主たる典拠とした。特定の企業・製品の宣伝を避け、地域全体の発酵文化として記述している。今後の改訂で、地域経済史・醸造史の一次資料(自治体史・醸造業の研究文献等)による裏づけを補強する予定である。

Footnotes

  1. 「"うま味の首都"愛知で、醸すグルメ旅」agora plus(JAL/小倉ヒラク氏談として、愛知県が発酵調味料のバリエーションにおいて「うま味の首都」と呼べること、知多・三河に味噌・醤油・みりん・酢の調味料文化が花開いたこと、海運・原料・塩の近接が醸造文化を発展させたことに関する記述). https://www.agora.jal.co.jp/open/articles/sample2404N.html

  2. 招鶴亭文庫 企画展「醸し 旨し 話し 醸しの半島、知多」(2014年)(知多半島・西三河南部で味噌・溜・醤油・みりん・酢が江戸期から造られ全国市場向けに生産されたこと、酒粕を原料にみりん・酢が生まれたこと、大浜の石川八郎右衛門家のみりん、半田の中埜又左衛門家の粕酢、武豊の味噌・溜の発展、和食の発展に関する記述). https://shoukakutei.or.jp/works/20141026.html 2 3 4 5 6 7 8 9

  3. 「愛知県は発酵が盛んな地域」職人醤油(最も淡い白醤油と最も濃厚な溜醤油が共存し、日本酒・みりん・酢も盛んなこと、多様な発酵食品が集まる珍しい地域であることに関する記述). https://s-shoyu.com/knowledge/0402/ 2

  4. 「日本一の発酵王国・知多半島の醸造史を紐解く」haccola(澤田酒造・澤田英敏氏談として、知多半島ほど高品質な発酵商品が揃う場所はなく、塩田もあり「砂糖以外は全部ある」との評に関する記述). https://haccola.jp/2018_03_27_6744/

  5. 「なぜ愛知で多種多様な発酵調味料が造られ、文化として根付いたのだろう?」日本料理一灯(長田勇久氏)(酒粕の二次加工技術、明治用水・愛知用水による良質な水、木桶職人の存在、海運・港湾の整備、尾張徳川の殿様文化と三河の商人・農業文化という五条件に関する記述). https://note.com/ittou_nihonryori/n/na28249111b4e 2 3 4 5 6

  6. 「西尾の醸造」西尾観光(17世紀後半に西三河・知多の酒が江戸で飲まれ「鬼ころし」と呼ばれたこと、酒造技術を生かしてみりん・酢が造られたこと、尾張・三河の醸造品が江戸期の和食を支えたことに関する記述). https://nishiokanko.com/list/special/brewing/ 2 3

  7. 「日本一の発酵王国・知多半島の醸造史を紐解く」haccola(澤田酒造)/招鶴亭文庫 企画展(知多半島の227軒の酒蔵で使えなくなった木桶・甑を味噌造りに転用したこと、味噌・醤油蔵の来歴に酒蔵が多いこと、『江戸流行料理通』〔1835年〕に尾張・三河の味噌が登場することに関する記述). https://haccola.jp/2018_03_27_6744/https://shoukakutei.or.jp/works/20141026.html 2 3

  8. 招鶴亭文庫 企画展「醸しの半島、知多」(知多の酒・味噌・醤油・味醂・酢がすべて麹菌=アスペルギルス・オリゼをスターターとし、これが国菌であることに関する記述). https://shoukakutei.or.jp/works/20141026.html

  9. 「なぜ愛知で多種多様な発酵調味料が造られ、文化として根付いたのだろう?」日本料理一灯(長田勇久氏)(同じ伝統製法でも蔵ごとに味わいが異なること、蔵に住み着く菌や造り方の工夫の違い、普通名詞でなく固有の蔵の一本として捉えると個性が際立つことに関する記述). https://note.com/ittou_nihonryori/n/na28249111b4e 2