碧南醸造文化誌

第三章

白という発明 — 白醤油はなぜ碧南で生まれたか

Hosomichi Chronicle of Hekinan — Chapter Three


はじめに — 色をつけない、という逆転の発想

前章で、碧南が生んだ「甘さの発明」みりんを見た。本章で辿るのは、碧南が生んだもう一つの発明——「白さの発明」、白醤油である。

醤油といえば、ふつう黒い。その黒さこそ、香りと旨みの証であるかのように。ところが碧南は、それとはまったく逆の発想に立つ醤油を生んだ。色をつけないことで、素材そのものを立てる。濃く主張するのではなく、淡く引き立てる。この逆転の美学が、いかにしてこの土地に生まれたのか。本章では、白醤油の起源、その独特の製法、そして「白だし」への展開までを辿りたい。


一 琥珀色の起源 — 金山寺味噌の上澄みから

白醤油の発祥は、碧南である。その起こりは、一つの偶然の発見にあった。

江戸時代後期、小麦麹で金山寺味噌(きんざんじみそ)を仕込んでいた折、その上澄みにたまる液体の色が淡く美しく、味わってみると醤油に似ていた——これを新たな調味料として用いたのが、白醤油の始まりと伝えられる12。発祥の地は、一八〇二年の三河国碧海郡大浜村の北部(のちの新川町、現在の碧南市新川町など)とされる3。前章で触れた大浜——廻船で栄えたあの港町の一角である。

この一八〇二年という年は、白醤油に二〇〇年を超える歴史があることを意味する4。白醤油の起源には諸説あるが、いずれの説も、その源を金山寺味噌の上汁に求める点では共通している123

醤油が「造るもの」だとすれば、白醤油は「見出されたもの」であった。味噌を仕込む日々の営みのなかに、ふと現れた淡い琥珀色。それを見逃さず、新しい調味料として育て上げた——白醤油の誕生には、碧南の醸造人たちの、確かな目利きがあった。


二 白さの科学 — 小麦九、大豆一

白醤油の淡い色は、どこから来るのか。その秘密は、原料の配合と、醸造のしかたにある。

日本の醤油は、大きく五種に分けられる。関東の濃口(こいくち)、関西の淡口(うすくち)、東海のたまり、濃口を再び熟成させる再仕込み、そして白醤油である5

普通の醤油は、小麦と大豆をほぼ等量で用いる。これに対し白醤油は、小麦と大豆の比率を九対一、あるいは八対二と、小麦を圧倒的に多く使う67。原料の大半が小麦であるため糖分が高く、仕上がりは琥珀色で透明、甘みの強い独特の調味料となる67

色の淡さを決めるもう一つの要因が、醸造期間である。黒い醤油が一〜三年かけて熟成するのに対し、白醤油の仕込みはわずか二〜三ヶ月と短い2。醤油は熟成が長くなるほど色が濃く出る。短く仕込むことで、白醤油はあの淡い琥珀色を保つのである2

伝統的な白醤油づくりでは、淡い色を守るための繊細な手仕事が積み重ねられてきた。空気に触れて色がつくのを避けるため、もろみは二回に分けて仕込まれ、木桶の中で約三ヶ月ずつ、じっくりと熟成される8。発祥の地・碧南では、今もこうした木桶を用いた昔ながらの仕込み蔵が受け継がれている8。木桶は管理に手間がかかり、量産には向かない。それでも、桶の木肌に棲みついた菌が醸す複雑さは、効率を追う設備では得がたいものだとされる。小さな蔵が、手のかかる桶を守りながら、その土地ならではの一本を醸す——白醤油の淡い色の奥には、こうした職人の選択がある。

ただし、ここに難しさがある。熟成を短くしすぎれば、小麦と大豆の旨みが十分に出てこない2。短い期間で、しかし十分な旨みを。この相反する要求のあいだで、白醤油は造られる。

学術的にも、白醤油は小麦主体の麹を食塩水で仕込むことから、「みりんと淡口醤油の融合したもの」と評される9。前章のみりんと本章の白醤油が、科学の言葉のうえでも姉妹のように結ばれていることは、興味深い符合である。


三 「黒」と「白」 — 料理人たちの使い分け

白醤油は、その出発点において、家庭の調味料ではなかった。それは、料理人のための醤油であった。

三河地方は、もともと赤味噌(豆味噌)の文化圏であり、醤油といえば濃厚なたまり醤油を指した10。たまり醤油は大豆一〇〇%で造られ、アミノ酸由来の旨みが濃く、刺身や煮魚に深い味を与える10。だが、料理によっては色がつきすぎるという難点があった10

そこで料理人たちは、たまり醤油と白醤油を「黒」と「白」と呼び分け、使い分けた10。色を濃くしたい料理には黒を、素材の色を活かしたい料理には白を。今でも、うどん屋では黒いつゆと白いつゆの両方が用意され、卵とじや天ぷらを頼むと、何も言わずとも白いつゆで出てくる地域があるという10

戦前まで、白醤油は高価ゆえに、素材の味を活かす高級和食に主に使われていた7。戦後、食生活が向上し、料理の味だけでなく見た目の色も重視されるようになると、白醤油の需要は高まっていった7。素材本来の彩りを損なわず、甘みと風味でまろやかに引き立てる——その特性が、時代に見出されたのである7

なお、白醤油は今なお希少である。国内の醤油五種のうち、白醤油のシェアは全体の一%にも満たない11。全国でも一〇社弱の白醤油醸造業者があるのみで、そのうち三社がこの碧南に集まっている12


四 白だしという展開 — 出汁と結ばれた白

白醤油の物語は、二〇世紀後半、「白だし」という新たな展開を迎える。これもまた、碧南から始まった。

白だしとは、白醤油をベースに、鰹節・昆布・椎茸といった出汁、塩、そしてみりんなどを加えた調味料である13。透き通った琥珀色のまま、素材の色を損なわずに、出汁の旨みを料理に与える——白醤油の「色をつけない」という美質を、出汁と結びつけることで、より使いやすい形にしたものだ。最初の白だしが碧南で生まれたのは一九七〇年代後半とされ、料理人の求めに応じて練り上げられた1314

ここで注目したいのは、白だしの素材に三河の本みりんが用いられることである13。前章で辿ったあのみりんが、白だしの一要素として再び現れる。みりんと白醤油——碧南が生んだ二つの発明が、ここで一つの調味料のなかに溶け合う。

料理人のための白醤油が、出汁と結ばれて白だしを生み、やがて家庭の食卓へと広がっていく。碧南の「白」は、こうして二〇〇年をかけて、専門の世界から日常の世界へと、その裾野を広げてきたのである。なお白だしは今日、多くのメーカーが手がける一般的な調味料となっているが、その源流が碧南の白醤油文化にあることは、記憶されてよい事実である。


五 戦争と、白を守った蔵

最後に、白醤油が辿った一つの試練と、それを支えた史実に触れておきたい。

白醤油は小麦を主原料とする。それゆえ、戦時統制下で大豆や穀物が不足したとき、白醤油の醸造も困難に直面した。この時期、米を原料とする白醤油の開発も行われたと記録される15。原料の途絶という危機のなかで、碧南の蔵々は工夫を重ね、白醤油づくりの灯を絶やさなかったのである。

碧南の白醤油づくりは、原料の途絶という危機をくぐり抜けながら、二〇〇年の系譜をつないできた。その歩みは、二〇一七年に碧南で開かれた「全国醤油サミット」が、五種の醤油のうち最後の一種「白醤油」の発祥地として、この地を選んだことにも刻まれている12。濃口・淡口・たまり・再仕込み——その四種の名産地を経て、サミットはついに「白」が生まれた町、碧南へと至ったのである12

色をつけないという逆転の発想から生まれ、料理人に育てられ、戦争をくぐり抜け、白だしへと展開し、なお希少でありつづける——それが、碧南の白醤油である。みりんという「甘さ」、白醤油という「白さ」。この二つの発明を併せ持つことが、碧南という土地の醸造文化の、類を見ない厚みなのだ。

次章では、視点を一段引き上げる。なぜ、味噌・醤油・酢・みりんという発酵のすべてが、この一帯に揃ったのか。碧南を含む三河の「発酵の生態系」そのものへと、筆を進めたい。


文献・出典


※ 本稿は碧南醸造文化誌(ホワイトペーパー)の第三章である。記載した事実は出典に基づく。白醤油の起源・発祥年には諸説あること(1802年三河国碧海郡大浜村北部説、1811年以降の尾張国愛知郡山崎村説など)を明示した。製法・分類に関する記述は、井上昂「白醤油について」(日本醸造協会誌・査読論文)および碧南市公式資料を主たる典拠とし、今後の改訂でさらに一次資料を補強する予定である。

Footnotes

  1. 「白醤油(白しょうゆ)を知る」ヤマシン醸造株式会社(白醤油の発祥が1802年・三河地方〔現碧南市〕であること、金山寺味噌の上汁が淡く美味で調味料として用いられたのが起こりであることに関する記述). https://www.yamashin-shoyu.co.jp/know/ 2

  2. 「白しょうゆ・三河みりん発祥の地」あいち発酵食めぐり(公的観光ポータル)/「愛知県碧南市の白い醤油って何だ?」和樂web(金山寺味噌の上汁起源説〔1800年頃・現碧南市〕、原料の小麦・大豆比率9:1、黒い醤油1〜3年に対し白醤油は2〜3ヶ月の短期仕込みに関する記述). https://hakko-aichi.jp/culture/detail/2/https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/54421/ 2 3 4 5

  3. 「白醤油」Wikipedia(発祥地を江戸時代後期1802年の三河国碧海郡大浜村北部〔のち新川町・現碧南市新川町〕とする説、あるいは1811年以降の尾張国愛知郡山崎村とする説に関する記述). https://ja.wikipedia.org/wiki/白醤油 2

  4. 「白醤油(白しょうゆ)を知る」ヤマシン醸造株式会社(白醤油の発祥が1802年まで遡ること、戦前は高価で高級和食に用いられたことに関する記述). https://www.yamashin-shoyu.co.jp/know/

  5. 「愛知県碧南市の白い醤油って何だ?」和樂web(醤油の五分類=濃口・淡口・たまり・再仕込み・白醤油に関する記述). https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/54421/

  6. 「白醤油」Wikipedia(小麦と大豆の比率を9:1ないし8:2と小麦を多く使うこと、糖分が多く琥珀色で透明な調味料であること、JAS規定に関する記述). https://ja.wikipedia.org/wiki/白醤油 2

  7. 「白醤油(白しょうゆ)を知る」ヤマシン醸造株式会社(小麦と大豆の割合9:1、淡口よりさらに淡い琥珀色、戦前の高級用途、戦後の需要拡大に関する記述). https://www.yamashin-shoyu.co.jp/know/ 2 3 4 5

  8. 「しょうゆ」あいち発酵食めぐり(公的観光ポータル)(碧南を中心に三河で白しょうゆが造られること、空気に触れぬよう2回に分けて仕込み木桶の中で約3ヶ月ずつ熟成すること、木桶を用いた昔ながらの仕込み蔵が受け継がれていることに関する記述)/木桶が量産に向かないこと・小さな蔵の価値については職人醤油「日東醸造」の蔵元談も参照. https://hakko-aichi.jp/culture/detail/2/https://s-shoyu.com/kura/nitto/ 2

  9. 井上昂「白醤油について」『日本醸造協会誌』第102巻第1号、日本醸造協会、2007年、24-30頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.102.24(白醤油は小麦主体麹を食塩水で仕込むため「みりんと淡口醤油の融合したもの」と言える、との記述). https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/102/1/102_1_24/_pdf/-char/ja

  10. 「愛知県碧南市の白い醤油って何だ?」和樂web(蜷川洋一氏談。三河の赤味噌=豆味噌文化、たまり醤油の特性、料理人が「黒」と「白」を使い分けたこと、うどん屋の黒つゆ・白つゆに関する記述). https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/54421/ 2 3 4 5

  11. 「しょうゆ」あいち発酵食めぐり(公的観光ポータル)/「第7回全国醤油サミットin碧南」碧南市公式(白醤油が全国の醤油生産量の1%未満の希少なものであることに関する記述). https://hakko-aichi.jp/culture/detail/2/https://www.city.hekinan.lg.jp/soshiki/keizai_kankyo/shoko/regional_revitalization/6020.html

  12. 「第7回全国醤油サミットin碧南〜白しょうゆが生まれた醸造のまち〜」碧南市公式(約200年前に碧南で白しょうゆ作りが始まったこと、全国10社弱のうち3社が碧南にあること、五種の醤油の最後の一種「白しょうゆ」発祥地として碧南でサミット開催に至ったことに関する記述). https://www.city.hekinan.lg.jp/soshiki/keizai_kankyo/shoko/regional_revitalization/6020.html 2 3

  13. 「三河碧南の白だし」本場の本物(白だしが碧南で生まれたこと、白醤油をベースに鰹節・昆布・椎茸等の出汁・塩・三河本みりんを加えた調味料であることに関する記述). https://honbamon.com/product/shirodashi/index.html 2 3

  14. 「三河碧南の白だし」本場の本物(最初の白だしが1970年代後半に碧南で料理人の求めに応じて生まれたことに関する記述). https://honbamon.com/product/shirodashi/index.html

  15. 「白醤油」Wikipedia(戦時統制下で大豆が不足した際、米を原料とする白醤油の開発が行われたことに関する記述。なお同記事は碧海郡新川町〔現碧南市〕の事業者がこれを量産したと記す). https://ja.wikipedia.org/wiki/白醤油